先日、話題の映画『SIRAT シラート』を観てきた。前情報はほとんど入れずに挑んだのだが、結果的にそれが大正解だった。「予測不能×衝撃の映画体験」というキャッチコピーに嘘はなかった。今回は『SIRAT シラート』の感想を書いていく。
まずは本予告から。
『SIRAT シラート』について
あらすじ
失踪した娘を探すため、父ルイスと息子エステバンはモロッコの山岳地帯から砂漠の奥深くへと車を走らせる。行き着いた先は現実と幻覚が混濁するような野外レイブのカオス。耳をつんざく重低音、赤い照明の海。しかしそこにすでに娘の姿はなく、二人はレイブの参加者グループを追って、娘が向かったと思われる次のレイブ会場を目指すことになる。
公開情報
公開日: 2026年6月5日(金)全国ロードショー
監督・脚本: オリベル・ラシェ
プロデューサー: ペドロ・アルモドバル
音楽: カンディング・レイ
2025年のカンヌ国際映画祭で審査員賞ほか4冠を獲得し、本国スペインで異例の大ヒットを記録した作品だ。2026年のアカデミー賞では音響賞・国際長編映画賞にダブルノミネート、ゴヤ賞では最多受賞の6冠を獲得するなど、賞レースを走り続けている。
主要キャスト
セルジ・ロペス(ルイス役)『パンズ・ラビリンス』などで知られるベテラン俳優
ブルーノ・ヌニェス・アルホナ(エステバン役)本作が長編映画初出演
そして今回、一番驚かされたキャスティングの話は後ほど詳しく書く。実際のレイブ会場からスカウトされたと言われる出演者たちが、この映画の説得力を大きく支えている。
良かったポイント
「予測不能」に嘘はなかった
宣伝文句に踊らされて「全然違うじゃねーか」ってなること、誰しもよくあると思う。今回はそれが見事に当たっていた。特に驚いたのが、生存者の意外性だ。「え、この人たちが生き残るんかい」と思うような展開になる。誰が最後まで残るのか、まったく読めなかった。
ジェイド・オウキドという「本物のレイバー」の圧倒的な存在感
出演者の中でも特に印象的だったのが、ジェイド・オウキド(Jade Oukid)という女性だ。彼女はなんと演技経験のない素人で、役名もそのまま本名の「ジャド」役として、しかもかなり重要な役どころで出演している。
演技経験がないとはとても思えないほど自然で、正直信じられなかった。彼女が踊るシーンは圧巻で、四つ打ちのビートに乗って踊る姿を見ながら「この俳優さん、ガチでレイブが好きなんだろうな」と思っていたのだが、実際は逆で、ガチのレイバーが俳優に挑戦していたということになる。
特に、地雷で爆死する直前に踊っているシーンは強く記憶に焼き付いている。あのシーンを見て、自分もレイブというものには2回くらいしか行ったことがないのだが、久しぶりに行きたくなってしまった。普通のフェスとはまた違う、車でしか行けない場所で行われる、どこか危険な雰囲気。ドラッグをやっている人がいて当然というような、シラフで行く場所ではない空気感。ラッパーのNENEが主催しているようなイベントの雰囲気に近い。車でしか行けないのが面倒ではあるのだが。
冒頭のレイブシーンも本当に素晴らしかった。人々がひたすら踊り続けているあの光景から映画は始まる。
エステバンが崖から落ちるシーン
息子エステバンが崖から落下する場面では、車が後ろから何か得体の知れない力で引っ張られているような描写に見えて、すごく怖かった。実際にどういう演出だったのかは分からないが、あの不穏な違和感は強く印象に残っている。
娘探しから逸れていく旅、そして自分なりの解釈
この映画の本筋、旅のそもそものきっかけは「娘を探すこと」だったはずなのに、物語が進むにつれてその目的からはどんどん離れたところに旅の主軸が置かれていく。特に息子のエステバンが亡くなったあたりから、その傾向は顕著になる。
ここで自分なりに気になっている解釈がある。もしかしたら、冒頭のレイブシーンに、実は探していた娘本人がいたのではないか、という可能性だ。
その根拠として、のちに旅を共にすることになる仲間たちに娘の写真を見せるシーンで、娘の顔がきちんと映らなかったという点がある(顔が映るのはもっと後になってから)。もし娘が髪を短く切り、世捨て人のような見た目に変貌していたら、父親であるルイスにも気づかれなかったのではないか。「衝撃の映画」と散々言われていたこともあって、そのくらいのどんでん返しがあってもおかしくないと思ってしまった。今でもこの説はあり得ると思っている。
惜しかった、というか印象に残った余談
喫煙所の彼女との再会
これは映画の内容とは直接関係ない話だが、印象的な出来事があったので書いておく。
映画が始まる前、喫煙所でタバコを吸っていたら、半袖からタトゥーが見える20代くらいの女の子がやってきた。「この子もシラートを見に来たのかな」と思っていたら、案の定シアターに入るとその子がいた。
強烈な映画体験を終えたあと、とりあえず落ち着こうと思って喫煙所に行くと、またその子がいた。手巻きタバコを吸っていて、見終わったあとのリラックスした吸い方が、その美人さも相まって妙にフォトジェニックだった。ちなみに劇中ではジョイントを巻くシーンが当たり前のように出てくるので、その画とも重なって、余計に目を引かれた。
自分は出張の帰りに電車でこの映画館まで来ていたのだが、彼女のタトゥーは自分の住む田舎には似つかわしくないほど目立っていた。映画館が都会にあるので、彼女もこの近くに住んでいてアパレル関係の仕事でもしているんだろう、くらいに思っていた。ところが帰り道、地下鉄を乗り継いで自分が帰りの電車に乗ろうとすると、同じ方面の電車乗り場の入り口に彼女がいたのだ。しかも駅員さんに帰りの電車の乗り方や停車駅について尋ねていた。
つまり、彼女は田舎から慣れない電車を乗り継いでまで、この映画を観に来ていたということになる。これには「この映画の影響力、恐るべし」と思わされた。そして彼女はきっとこの映画に満足しただろうし、遠方から電車に乗ってでも観に来る価値はこの映画にはあると思う(自分自身、県外から観に来ていたクチなので、その気持ちはよく分かる)。特に若くてダンスミュージックやレイブカルチャー、サブカルチャーが好きな人には刺さるはずだ。感想を聞いてみようかとも思ったが、気持ち悪がられそうなのでやめておいた。
上映前のコーヒーは飲みすぎ注意(笑)
これも余談だが、上映前にコーヒーを飲みすぎてしまい、映画の中盤くらいからトイレに行きたくてたまらなくなってしまった。ただでさえ緊張感のある映画なので、身体的な苦痛も相まってなかなかつらい時間だった。映画が終わったあと、キレの悪い尿道から尿がちょぼちょぼとゆっくり出てくる間、小便器の前で映画の余韻に浸っていた。おじさんなので自分のおしっこタイムは長い。2分くらいはかかっていたと思う。
公式グッズは軒並み売り切れだった
余談ついでに、映画館のグッズ売り場もチェックしたのだが、劇場限定Tシャツはすでに完売していた。かなり人気だったようだ。フリマアプリで出品されているのを見つけたので、欲しい方はこちらもチェックしてみてほしい。
パンフレットもかなりの熱量で作り込まれていて、監督インタビューや評論家のコラムまで載っているので、劇場で買えた人はぜひ読んでほしい。売り切れていた場合は、こちらもフリマアプリなどで見つかることがある。
ラストの解釈は「観客に委ねられている」
この映画は、観る側に解釈を委ねられている部分が非常に多い。監督自身もインタビューでそう発言している。娘の安否、失踪の理由、主要キャストに身体に障害を持つ人物が多いことの意味、そして最後に生き残った3人がその後どのような運命をたどるのか、といったことがはっきりとは示されない。
自分は、最後に列車に乗っている3人を見て、「この3人は助かって、これから平穏な日常を取り戻すのだろう」と解釈した(もちろん、仲間や家族を失っているので、完全に「平穏」とは言えないのだが)。ただ、後から他の人の感想を見比べてみると、どうもこの解釈は少数派のようだ。
ネットの考察と読み比べてみた
自分の感想を書き終えたあと、いくつか他の方のレビューや考察記事、ラジオでの映画評を読み比べてみた。同じ映画でも、どこに立って見るかでこんなに解釈が変わるのかと驚かされたので、簡単にまとめておく。
町山智浩の映画塾(YouTube) では、「シラート」というタイトルに、イスラム教における天国と地獄を隔てる「髪の毛より細く剣より鋭い橋」という意味と、スーフィズムにおける「正しい道」という意味の両方が仕込まれていると解説されていた。監督オリベル・ラシェ自身がレイブ体験を通じてスーフィズムの実践者になった経緯を踏まえ、主人公ルイスの旅を自我克服のプロセスとして読み解き、結論として「おそるべきハッピーエンド」だと位置づけている。
ラジオの映画時評「ムービーウォッチメン」(宇多丸) では、この映画を絶賛しつつも、ラストの列車のシーンについては「どこに向かっているか分からない列車に乗せられていく」絵面に、初見では不吉さを強く感じたと語られていた。一方で、リスナーからの「ヨーロッパとアフリカの関係性が最後にアフリカ側の視点に転換する」という指摘には納得したとも述べていて、単純な楽観・悲観では割り切れない作品だとしていた。ドルビーアトモスでの音響体験を強く推薦していたのも印象的だった。
正直、これを聞いて自宅でもドルビーアトモス環境を試してみたくなった。興味がある方はこちらもどうぞ。
ちなみに宇多丸の回でも触れられていたが、緊張感のある演出は『恐怖の報酬』を思わせるとのことだった。気になる方は名作なので合わせてチェックしてみてほしい。
「元レイバー」を名乗るnisai氏のnote記事 は、かなり異色の視点だった。多くのレビューがこの映画を「不条理」「理不尽」と評することに強く異議を唱え、モロッコからモーリタニアにかけての砂漠地帯が外務省の「危険エリア」に指定されている現実を踏まえれば、これは不条理ではなく「そりゃそうなるだろ」という因果の帰結にすぎない、という主張だ。ラストの列車がモーリタニアの砂漠地帯と港町を結ぶ実在の鉄道であり、その先には息子エステバンが見たがっていたモンクアザラシの生息地があるはずだと、地理的な知識をもとに独自の予測を展開していたのが興味深かった。
参考記事:元レイバー・北アフリカ渡航経験者が記録する映画「シラート」のログ(note/nisai)
ippento.comの記事 では、なぜ本作のキャストにプロの俳優ではない「素人」が多く起用されているのかという視点から、監督の狙いを考察していた。自分が感想で触れたジェイド・オウキドのような、実際のレイブ参加者本人を起用するという手法についても、話題作りではなく「脆さ」や「エゴの崩壊と救済」というテーマを体現させるための意図的な選択だったという読み解きがされていて、なるほどと思った。
参考記事:なぜ『シラート』のキャストは素人ばかりなのか?(ippento.com)
一方で、utenglishohashi氏のブログ は、カンヌでの高評価に対してやや懐疑的な立場を取っていた。地雷や西サハラ問題との関連、キャスティングにおける身体の欠損への言及など、作品の背景にある政治的・社会的な文脈をより批判的に掘り下げた内容で、手放しの絶賛一辺倒ではない見方として参考になった。
参考記事:utenglishohashiのブログ『シラート』1
同ブログの続編にあたる記事では、さらに踏み込んで、地雷という兵器そのものの残酷さ(即死させず負傷者として人手を奪う「悪魔の兵器」であること)や、映画の舞台となった地雷原が、モロッコが建設した実在の「砂の壁」(西サハラの領有をめぐる紛争地帯を分断する、地雷と鉄条網で守られた総延長約2000kmの壁)と地続きの現実であることが論じられていた。ラストの列車についても、モーリタニア鉄道を「難民の移動のメタファー」として読み解き、さらに「生き残った3人は本当に実在したのか、それとも旅の途中で死別した仲間たちの幻影だったのか」という、かなり踏み込んだ多重解釈まで提示していて、読み応えのある内容だった。
参考記事:utenglishohashiのブログ『シラート』2
総じて
同じ「予測不能な衝撃映画体験」というキャッチコピーの作品でも、レイブカルチャーの当事者性を持って見る人、宗教的な文脈で読み解く人、地政学的な現実として受け止める人、音響や構成といった映画技術の観点から評価する人と、読み方は本当に人それぞれだった。
自分自身はラストを「平穏な日常への帰還」として楽観的に受け取ったが、これは少数派の解釈のようだ。それでも、監督自身が「解釈は観客に委ねている」と語っている以上、この「見た人によって印象がまったく違う」という状態こそが、この映画が目指していたものなのかもしれない。
とにかく、まだ観ていない人には、できるだけ前情報を入れずに、そして可能な限り良い音響環境の映画館で観ることを強くおすすめする。もし野外上映とかやったら絶対観に行く。




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